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REPORT

「直感・感性」、「わび・さび」
AIが知らない、人間のクリエイティビティ

「自分自身を改良する人工知能を作ることが、人類の最後の発明である」。シンギュラリティという概念を提唱したとされる、数学者のアーヴィング・ジョン・グッドはそう予言しました。人工知能が世界を最適化するとき、果たして人間のクリエイティブは必要とされるのでしょうか? 脳科学者の茂木健一郎さんは、シンギュラリティ以後も人間のクリエイティブは決して無くならないと言います。しかし、テクノロジーの発達はクリエイティブをとりまく状況を一変させるでしょう。人工知能がもたらす未来において、クリエイターに必要な能力とは何か。新たなクリエイティブの可能性と、現代のクリエイターが養うべき資質について迫ります。


人工知能時代における卓越性の指標

茂木健一郎:テクノロジーがこれだけ進化を遂げている時代、クリエイティブには何が必要でしょうか。先日惜しくも亡くなられた映画監督の高畑勲さんは、大学でフランス文学を専攻された後、アニメーション映画の監督になりました。アニメ好きの友人いわく、アニメーターは絵を描くことには卓越しているけれども、ストーリーは書けない。おもしろいストーリーを構築するには監督という別の才能が必要だと。例えば『宇宙戦艦ヤマト』の監督を務められた西崎義展さんのように、原作者の松本零士さんとは別の才能が作品を支えることがあります。

脳科学者の茂木健一郎さん

ドワンゴ取締役CTOの川上量生さんは、スタジオジブリに「プロデューサー見習い」として所属されています。彼によると「宮崎駿さんに比べて、高畑さんはロジックで作品を作る人だった。だから、欧米では作品が理解されやすかった」そうです。高畑さんを語るエピソードはほかにもたくさんあるのですが、なかでも印象に残っている話があります。

高畑さんがアニメーターたちに「『アルプスの少女ハイジ』の原案を描いてこい」と指示したときのこと。アニメーターたちはみんな、主人公らしいかわいい女の子の絵を描いてきたんですが、高畑さんは「そうじゃない、もっと自分自身を見つめているような、ひたむきな表情をもった子を描いてこい」と言ったそうです。そのとき初めてアニメーターたちは「単にかわいいキャラクターを描くだけではダメなんだ」「人間の本質、心のもっと深い部分に降りていかないと作品はできないんだ」と気付いたと言います。

この高畑さんのエピソードは、人工知能時代のクリエイティブにとって、とても示唆的な話だと思うんですよね。日本人は「緻密な線を一本一本手作業で描く」ような職人的な部分にクリエイティブが宿ると信じている節があります。それは日本の「美術」の総本山・東京美術学校(現・東京芸術大学)でもそうでした。創設の立役者である岡倉天心の述懐によれば、当時はまだ狩野派の絵師の伝統が残っていて、日本画の学生たちは1日に何千本という線をひたすら引いて鍛錬していたそうです。そうでなければ、狩野派のような絵は描けないと信じられていた。しかし一方で高畑さんは、これとは違ったクリエイティブのあり方を示すわけです。

つまり「ひたむきな表情を持った少女の絵を描いてこい」と言った高畑さんの脳裏には、すでに彼の描いていた「世界」があるわけですよね。自分の内側に「世界」を創造できるか。これが人工知能時代には極めて重要な問いになってきます。かわいいキャラクターの絵、人力では時間がかかる緻密な絵、あるいは壮大なCGや劇的なカメラワークも、これからはすべて人工知能がやってくれます。人間が「クリエイティブ」だと信じてやっていた所作を人工知能が完全に再現できるようになったとき、みなさんのクリエイティブの卓越性を支えるものはなんでしょうか。その答えのひとつが、先の高畑さんの話に隠れているような気がします。つまり、アニメーション映画制作の多岐にわたる技術を把握して、そこに「的確な判断を下していく能力」こそが、次の時代の卓越性の指標です。「選ぶ」「並べる」「組み合わせる」というような、メタレベルでのクリエイティビティがいま求められています。

 

テクノロジーはクリエイティブをマスプロダクト化する

現代アートに関心のある方は、ダミアン・ハーストをご存知だと思います。彼の作品に『ドット・ペインティング』というシリーズがありますが、名前の通り白地にカラフルなドットが規則的に配列してある作品です。ある方が「マスプロダクションができないと、もはやアートマーケットで存在感を示せない」と言っていたのですが、これは深い洞察だと思います。要するにドット・ペインティングが「量産可能である」ということが、現代アートのマーケットにおいて重要だということです。

ジャン=ミシェル・バスキアの作品ように希少だからこそ存在感を示せるという例もありますが、非常に高額になるため限られた人しか買えません。一方、ドット・ペインティングは量産ができるので、多くの人に行き渡ります。アーティストがコンセプトによって作品のオーセンティシティを保証することで、マスプロダクトでも「アート」になり得るわけです。村上隆さんもカイカイキキで300人ほどのスタッフを雇用して、自身の作品を制作されています。

しかし、大事なのはここからです。この状況はテクノロジーの進化によって変わります。つまり、ダミアン・ハーストや村上さんのような特別な人じゃなくても、誰でもマスプロダクションが可能になるということです。300人の気鋭のクリエイターを雇うことはできなくても、その作業をこなしてくれる人工知能の存在があれば、クリエイションの環境は有名アーティストとそう変わらなくなる。そうなったときにクリエイティブの核になるのは、やはりディレクションする判断能力になるでしょう。

問題は「みなさんはその状況でどうするんですか?」ということです。クリエイティブの質は今後と言わず、現在も急速に上がってきています。昨年、Netflixのドキュメンタリー映画『イカロス』がアカデミー賞を受賞しましたよね。それまで映画批評や既存のアワードから「異端児」として扱われてきたNetflixの映画が初めて業界から認められた出来事でした。Netflix、Hulu、amazon Primeの参入によって、見切れないほどのコンテンツが供給され、同時にストーリーテリングの質が劇的に向上しました。視聴者の期待値もどんどん高まってきていて、その加速する状況のなかでクリエイティブが生まれてきているわけです。そんななかで「価値あるもの」をつくり出すにはどうするべきでしょうか。

クリエイティブは評価できない?

時代の流れとして、人工知能の進化によって誰もがアーティストや映画監督になれる日は遠からず実現されます。しかし、大事なのはここからです。人工知能の進化には「評価関数」というものが必要になってきます。評価関数とは、人工知能があるパフォーマンスをしたときに「それが何点か」を評価するアルゴリズムのことです。例えば、囲碁や将棋は評価関数がはっきりしています。つまり「勝ち/敗け」ですね。Google DeepMindが開発した、みなさんご存知の「AlphaGo」は、過去の棋譜を大量に読み込ませてパターン学習した結果、実戦で最適な手を選んで打っていきます。

しかし、最近開発された「Alpha Zero」は最初にルールだけを教えて、パターン学習の代わりに「試行錯誤」をさせる学習方法を採っています。すると、最初はへたくそなんだけど、だんだん「この手を打つと勝率が上がる/下がる」ということを覚えていくんです。勝敗という評価関数に従って評価値の高い手、つまり「勝率が最大化する手」を実践するようになる。その結果、囲碁をはじめ将棋やチェスでも世界最強になってしまったんです。ここで付け加えておくと、Alpha Zeroが世界最強なのは、最強の人間に勝ったからではなく、最強の「プログラム」に勝ったからです。つまり、もうすでに人間は、機械の相手にはならないんですね。囲碁や将棋のような評価関数がはっきりした分野では、人工知能は人間をはるかに凌ぐパフォーマンスを発揮しているということです。

では、評価関数がはっきりしない分野、クリエイティブにおいてはどうでしょうか。クリエイティブの分野に評価関数を持ち込むことは非常に難しいと言えます。そもそも、いまクリエイティブの世界は大混雑しているじゃないですか。中高生と話しているとおもしろいんですよ。彼らはアニメの話しかしない。彼らにとって「地上波」とは「深夜のアニメ枠」を意味します。最近はそのなかから人気アニメが生まれて社会現象になっていますし、ゲームやライトノベルも発達してきています。大人のみなさんに聞くと、このあたりのジャンルには全く関心がない、ほとんど知らない人が多いです。これは言い換えれば、「オトナの知らない世界」があるということです。

ラテ欄のゴールデン枠に並んでいる番組の視聴率がいくつか、みたいなことを評価基準にしているのが、いわば「オモテの世界」です。しかし、子どもたちにとってはその世界の事情は関係ないわけですよ。もちろん「オモテの世界」の価値観にも正しさがあるので、それはそれでいいんです。でも、クリエイティブに大事なのは「次に来るものは何か」を感じ取る嗅覚ですよね。であれば、子どもたちがいま夢中になっているものを、「ウラの世界」という断絶した時空に閉じ込めていてはいけない。

芥川賞や直木賞は大人の世界では権威ですが、子どもたちの眼中にはありません。子どもたちが夢中になっているのはアニメ、ゲーム、ラノベ、YouTuberです。しかし、ここに単一の評価関数を持ち込むことは不可能なんですね。先ほどのAlpha Zeroのように「芥川賞的なものは良い/アニメ的なものは悪い」と単純な評価関数があればいいんですが、そうはいきません。なぜならクリエイティブにまつわる多様な文脈を考慮しない限り、適切なアルゴリズムは実現できないからです。現代におけるクリエイティブの最大の問題はここです。単一の基準では評価しきれないということはおもしろいところでもあるし、悩ましいところでもあるんですね。コンテンツを制作・配信している方々にとって、これは「ターゲットが見えにくい」という切迫した問題として現れます。

方向性を定める「直感と感性」

クリエイティブの方向性が見えにくい時代を、さて、みなさんどう乗り切りますか? 昨年、初めて全編英語の本を執筆しました。「生きがい」という概念について書いた本で、今後28の言語で翻訳されて30カ国で販売される予定です。当初、生きがいというテーマは出ていませんでした。きっかけになったのは、いま海外で日本由来の概念がにわかに注目され始めているという、編集会議での会話でした。例えば、「もののあわれ」「わび」「さび」などです。不完全であってもいい、欠けていることそれ自体を価値として認める美意識が「わび」、時間の経過とともに劣化していくことを価値とする美意識が「さび」です。不完全や劣化に価値を見いだす態度や概念が、いま世界のクリエイティブでものすごく注目されています。

「金継ぎ」などの技術も関心の対象になっているようです。欠けたり割れたりした器を、漆と金で継ぎ合わせる技術ですね。例えば中国などは完全性を重んじる文化があるので、陶磁器の模様は端正な幾何学模様がよいとされます。しかし金継ぎという日本文化においては、欠損をよしとするどころか、その継ぎ目によって生まれた不規則な痕すら愛でてしまうんですね。クリエイティブを評価する文脈の多様性は世代間だけでなく、文化間でもあらわれるので、昨今の状況は一層複雑だと言えます。

人工知能時代のクリエイティブにおいて、何がいちばん大切な資質になるか。これを一言で言うと「直感と感性」、これに尽きます。「こっちの方向だ」と見極める能力を持つことが最も価値あることです。つまりアートディレクター的な立場で何ができるのかが問われてくる。このセンスを磨くことが大切です。

 

シンギュラリティを「嗅ぎつけた」感性

最近になって「全映画ジャンルのなかで最も高い評価を得る映画」が明らかになりました。その映画はかつてはSF映画としてしか捉えられていなくて、しかもなかでも難解な映画だとされていました。お分かりでしょうか? その作品が『2001年宇宙の旅』です。実はこれは「シンギュラリティ」を描いた映画なんです。シンギュラリティを迎えると、人工知能が人間の能力を超えてしまう。より厳密に言えば、シンギュラリティの定義は「人工知能が自分自身を改良するようになることで、人間のコントロールを離れてシステムがブラックボックス化すること」です。要するに、シンギュラリティとは人工知能の暴走を意味します。

イギリスにアラン・チューリングという天才数学者がいました。第二次世界大戦中にナチス・ドイツの難解な暗号「エニグマ」を解読したことでも知られる彼ですが、コンピュータ、つまり人工知能の父としても知られています。チューリングとともにイギリス軍の暗号解読部隊で活躍したひとりに、数学者のアーヴィング・ジョン・グッドがいます。実はこの人がシンギュラリティという概念を創り出したひとりなんです。彼は「自分自身を改良する人工知能を作ることが、人類の最後の発明(the Last Invention)である」という言葉を残しました。つまり「それ以降人類はやることが無い」ということです。『2001年宇宙の旅』は、シンギュラリティを提唱したグッドがアドバイザーを務めています。人間に反逆する人工知能というイメージは、グッドのアイデアが基盤になっているというわけです。

話を戻すと、この映画は公開から50年経った現在、最も多方面から評価される映画になっています。何が言いたいかというと、いいクリエイティブは「関わった人すべてを幸せにする」ということです。この映画製作に関わったスタッフのなかで、いまでも生きている人は賞賛を受けるでしょう。これはこの映画をディレクションしたスタンリー・キューブリックの功績と言えるわけです。次代のニーズや関心事を嗅ぎつける彼の卓越した嗅覚があったからこそ、この映画は誕生しました。しかし、逆に言えば、とくに昨今はそのディレクション自体が極めて難しくなってきている。つまり、ものすごい数のファクター、文脈を考慮しないと「いい」ディレクションはできません。みなさん、どうしますか?

クリエイティブの質を左右する「クオリア」の経験値

人工知能の進化によって、コンテンツの制作技術に関わる参入障壁はほぼ無くなります。手業的、職人的な仕事はすべて人工知能が肩代わりしてくれますから、これからのクリエイティブはこの状況を所与のものとして展開していきます。ですが先ほども述べたように、人工知能は評価関数が定まっていれば最適なアウトプットができますが、クリエイティブのような評価関数が定まらないものに対しては最適解を提示できません。昨今のクリエイティブの事情はこれまで見てきた通り、評価軸が分裂している状態です。万華鏡のように世界が分裂している状況下で、自分にとって価値あるものをどうやって見定めるのか。感性によるディレクションができるのかどうか。これが、これからのクリエイティブに関わる人にとっての重要な課題です。

これに対して示唆的なエピソードがあります。装丁家・評論家であり、骨董蒐集家としても知られた青山二郎という人物がいます。彼の見識眼は、小説家の小林秀雄をして「ぼくたちは秀才だが、あいつだけは天才だ」と言わしめたほどです。青山は幼いときから骨董に興味を持って、若くして横河民輔という実業家が蒐集した2000点もの中国陶磁器を整理して、カタログを作成しました。彼はのちに、そのなかでも自分が本当にいいと思ったものは数点だけで、このときの経験が自分の鑑識眼を作ったと語っています。つまり、クリエイティブに対する自分の評価軸を確固たるものにするには、いろんな物事をとにかく経験するしかないんです。

僕の専門は脳科学の中でも「クオリア」に関わる領域です。何かを「いい」と思ったときの「いい」という感覚を脳がどう捉えているのか、ということを研究しています。「いい」という質感は言葉にもできなければ、数値化もできない。だから私たちは「いい」という質感をクオリアとして覚えていくしかないんです。フォトグラファーが「シズル感がほしい」って言いますよね。シズル感とは何かというと、クオリアなんですよ。日本語には「キラキラ」「ふわふわ」のようなオノマトペがたくさんありますが、こういう言葉によって喚起される質感もクオリアです。ある表現には、固有のクオリアがあります。それにたくさん触れて、自分のなかで消化して、整理する。すると、自分が行きたい方向、やりたいことが直感的に分かるようになります。いろんな種類のクオリアを知ること。これ以外に、クリエイティブの未来を切り開く方法はないでしょう。

要するに「こういう方向性でいきたい」という確信を本人が持てているかどうかが大切なわけです。これがいわゆる「感性」と呼ばれるものです。一般的には「感性は不確かで曖昧なもの」と思われていますが、実はクリエイター本人はその「感性」をはっきりと把握していることが多いです。

問題はここからです。クリエイター本人だけが把握している感性を、どうやって他人に伝え、共有するか。そのコミュニケーションの回路を開いていくことこそが、クリエイティブの今後の役割になってくるわけです。もっとも、この役割を果たすにはより多くの経験値が必要です。つまり「遊んでみるしかない」。とにかくあらゆる道具や技術で遊んで、試行錯誤してみる。すると、自分が感じたクオリアをアウトプットする方法が増えます。それをフィードバックして、さらに表現するというループが生まれたら、クオリアは正確に表現する技術が身に付く。つまり、クリエイティブの方向性を定める能力が備わるというわけです。そういう卓越性を発揮できる人が、これからの時代を牽引していくクリエイターになると思います。

クリエイティブは人間が生きる証

ルネサンスの時代に「なぜ芸術が生まれたのか」という議論が起こりました。すなわち芸術とは、神様の創造物である自然に欠けているものを、人間が創り出すための能力なんだと。だとすれば、人工知能時代においてはますますクリエイティブの役割は大きくなっていくはずなんですよ。人工知能って「第二の神様」みたいなものじゃないですか。今後、ありとあらゆるものが人工知能によって最適化されていきます。しかし、それでも「足りないもの」はあるはずです。仮に人工知能が世界の食料問題やエネルギー問題、人口問題を解決してくれて、われわれはその環境で「幸せ」に暮らしていたとしましょう。それでも「足りないもの」があったとすれば、それがクリエイティブです。

クリエイティブの多くは「人間の不完全性」に関わるものです。心に刺さる表現や作品の背景には、人間の生に対する切実な思いがあります。人工知能がすべてを最適化する時代になっても、人間は変わらず悩んで、迷って生きていくわけじゃないですか。その限りではクリエイティブの役割は絶対に無くならない。クリエイティブが、人間が生きる証になるんです。そこで私たちは何を感性でつかみ取り、そして表現するのか。シンギュラリティ以後の時代を悲観的に見る人もいますが、僕はそうは思いません。人間がどんなクリエイティブを生み出していくのか、むしろ楽しみにしています。

Photographs by Kazuma Hata
Text by Mitsuhiro Wakayama

2018/6/8

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