なぜストラディヴァリウスは 300年ものあいだ人々を魅了し続けるのか

vol.27

現代音楽とストラディヴァリウスが交差する日

第1部|謎多きストラディヴァリウスの真価とは

Text by Ryo Inao

Photographs by Honami Kawai

10月9日から15日まで、六本木・森アーツセンターギャラリーで開催される「STRADIVARIUS ‘f’enomenon -ストラディヴァリウス300年目のキセキ展-」とのコラボレーションで実現した「H」トークセッション。第1部は現代音楽の作曲家として世界的に高い評価を得る藤倉大さんと、同展覧会を主宰する中澤創太さんによる対談が行われました。

ストラディヴァリウスは「超高額」「世界に現存するのはわずか」など限られた情報だけで、いまだに謎多き最高峰のヴァイオリンです。そこで展覧会に先駆けて、ストラディヴァリウスの歴史を紐解きながら、300年ものあいだ評価され続けている理由について、中澤さんの解説とともに、藤倉さんの鋭いツッコミを交えて掘り下げていただきました。


第1部「謎多きストラディヴァリウスの真価とは」

ストラディヴァリウス解体新書

中澤創太(STRADIVARIUS ‘f’enomenon主宰/以下、中澤):10月9日からスタートするアジアで初のストラディヴァリウスが世界中から集まる「STRADIVARIUS ‘f’enomenon -ストラディヴァリウス300年目のキセキ展-」を六本木の森アーツセンターギャラリーで開催します。

その名を聞いたことはあっても、具体的なイメージをお持ちの方は少ないと思います。ストラディヴァリウスは、何年に生まれて何本つくられたのか、現在日本にはどれだけの数があるのか、そしてどんな人がそれを弾いているのか、本当に音がいいのか……。とにかくさまざまな疑問をお持ちの方が多いと思います。しかし、展覧会にお越しいただければ、そうした謎が全て解けます。

今回の展示ではストラディヴァリが制作したほぼすべての時代のヴァイオリンがそろい、そのほとんどが会場で演奏されます。しかも2,300円とお手頃な価格で見放題、聴き放題。そんな楽しいフェスティバルが間近に控えています。

「東京ストラディヴァリウス フェスティバル2018」の実行委員長/代表キュレーターの中澤創太さんと、ロンドン在住の作曲家・藤倉大さん(中央)
「東京ストラディヴァリウス フェスティバル2018」の実行委員長/代表キュレーターの中澤創太さんと、ロンドン在住の作曲家・藤倉大さん(中央)

藤倉大(現代音楽作曲家/以下、藤倉):私はロンドン在住で、昨日東京に到着したところです。私からも告知ですが、9月24日に『ボンクリ・フェス』を東京芸術劇場でやります。

朝から夜まで完全に新しい音だけが聴ける音楽祭です。例えば坂本龍一さんの合唱曲が流れた後に、ノルウェーの4人のECMアーティストと僕とで直前のその曲をライブでリミックスしたりします。一日中聴けて3,000円という、こちらもお手頃価格。今年で2回目のこのイベントですが、去年はたくさんの人が集まってくださいました。その大盛況を受けて、今年はさらに大規模になります。

藤倉大さん

タジリケイスケ(「H」編集長/以下、タジリ):ありがとうございます。では、早速、今日のトークへと移っていきましょう。今回、21挺のストラディヴァリウスがアジアで初めて一堂に会するということですが、藤倉さんはこのイベントをどのように感じられていますか?

藤倉:21挺!? それって……安全なんですか? 『オーシャンズ11』みたいな事件にならないですかね(笑)。

中澤:21挺ものストラディヴァリウスが集まるのはアジアでは初めてで、1987年にヴァイオリンの聖地イタリアのクレモナで「ストラディヴァリウス展覧会」が開催されましたが、それ以降大きな展覧会は開催されていません。だから今回のものは歴代第2位の規模。ですから、セキュリティー面はもちろんのこと、貸し手の選定など大変なことが山積していました。

藤倉:保険もすごい?

中澤:保険も……ちょっとしゃべれないような額です(笑)。いろいろなオーナーさんのご協力いただいて何とか実現できましたが、本当に大変でした。

それに、日本は地震があるので、貸し出しに難色を示されることも。こうした難題を解決するのに5年かかりましたが、高額な保険額は世界中のオーナーの方々の出資による援助などで、なんとかすることができました。

藤倉:やっぱりダミーも用意するんですか? 本物を運んでいるように見せかけて……。

中澤:それを話してしまうといろいろとマズいので教えられないです(笑)。ですが、対策はいろいろ考えています。例えば、今回はANAさんが輸送のパートナーになってくださり、工夫を凝らした運搬を実現できました。六本木ヒルズに持ってくれば、あとは高いセキュリティに守られているので、ルパンが来ない限りは被害には合わないだろうと見ています(笑)。

中澤創太さん

タジリ:そもそも多くの方は、それほど高価なストラディヴァリウスが一体何なのかをご存知ないと思います。基本的なことからご説明いただけますか?

中澤:まず、アントニオ・ストラディヴァリというのが制作者の名前で、楽器の名前がアントニウス・ストラディヴァリウスです。ヴァイオリンのなかを覗くと「アントニウス・ストラディヴァリウス・クレモネンシス(クレモナのアントニオ・ストラディヴァリ作)」という署名があります。それを見て、日本人はストラディヴァリウスと呼ぶようになりました。

楽器はご存知でも、人物としての認知はされていないでしょう。1644年にイタリアに生まれ1737年に没した彼は93歳まで生きています。その生涯でつくった楽器の数はなんと約1,200挺です。

藤倉:1,200挺! 全部素晴らしいんですか?

藤倉大さん

中澤:基本的に全部素晴らしいんです。ヴァイオリンだけでなく、ビオラやチェロ、あとはハープやマンドリンなんかもつくっています。

藤倉:マンドリンも!? 現存しているものは、やっぱり音が違うんですかね?

中澤:はい。ただ、博物館にあり演奏することができないので音については分かりません。

彼の手によるギターも5本だけ残されており、その内の1本が今回の展覧会に来ます。展示するだけでなく、音を聴いてもらうことも今回の主要なテーマなので、ギターの演奏もします。僕の人選で日本のギター奏者をクレモナ市に提案したところ、全て却下されてしまいました。だから、クレモナ市推薦のイタリア人奏者がやって来ます。

藤倉:その人はうまいんですか(笑)?

中澤:そりゃうまいでしょう。一応YouTubeで演奏を確認しましたが(笑)。

中澤創太さんと藤倉大さん

藤倉:ところで、ストラディヴァリウスの楽器は世界にどれだけ残っているんですか?

中澤:約600挺ですね。300年以上のあいだに戦争や飛行機の墜落事故、タイタニック号を含む船の事故などによって、多くは失われています。

藤倉:楽器は壊れてしまうものですが、修復はどうしているんですか?

中澤:古い楽器を修復した経験を30年以上積んだ専門の職人でなければ修復できません。

実はヴァイオリンの本体と弓は独立してつくられる

藤倉:以前、チェロのソロ曲を作曲するに当たり、チェロがどのようにつくられているのかを研究したことがあります。なかでも、弓をつくる段階に感銘を受けましたね。

中澤:ちなみに、ヴァイオリンと弓のメッカは異なるんです。弓はその制作に300年の歴史を持つパリです。

藤倉:え!?ストラディヴァリウスのヴァイオリンに弓は付いてないんですか?

中澤:そうなんです。たまに驚かれる方がいるんですけど……。

藤倉:たまにって、みなさんご存知でしたか(笑)? 僕は知らなかったです。

藤倉大さん

中澤:なかにはストラディヴァリウスを購入した団体などから「弓はどこですか?」と尋ねられるのですが、もともと別物なんです。

藤倉:それは、ゲーム機を買ったのにコントローラーがついてないようなことですよね(笑)? 別物とはいえ、弓がなかったらストラディヴァリも自作した楽器を試すことができないですよね。彼はどんな弓を使っていたんですか?

中澤:フランス製のものを主に使っていたと言われています。

藤倉:1640年辺りといえば、ヨーロッパで戦争が頻発していた時期でしたよね。フランスとイタリアで行き来することができたのでしょうか?

中澤:その辺りはミステリーですね。彼の暮らしていたクレモナにも弓のつくり手はいたはずですが、フランスのものも使っていた可能性は高いと思います。

藤倉:なぜ弓をつくらなかったんでしょうか?

中澤:本体と弓の制作工程は異なります。材質も違うんです。ヴァイオリンの場合、表面はカラマツで裏面はカエデですが、弓にはフェルナンブコといってブラジル原産の弾性の強い特別な木材を用いられます。ストラディヴァリは、弓に専念していたらここまで有名になっていなかったでしょうね。

中澤創太さんと藤倉大さん

理屈では語れない、楽器で異なる音色

中澤:ストラディヴァリウスは初期、挑戦期、黄金期、晩年とで作品の質が分かれます。初期はまだニコロ・アマティという師匠の作品を真似ていた段階。その師匠の祖父はヴァイオリンの始祖と言われるアンドレア・アマティです。その後の挑戦期では、音量を上げるためなのかミリ単位で本体のサイズを大きくしています。

なぜ技術力も向上したはずの現代のヴァイオリンが300年前のストラディヴァリウスを超えることができないのかというと、結局彼のつくった原型がゴールデンフォルムだったからです。これまで数々の制作者がたくさんのサイズや形の可能性を探りましたが、ヴァイオリンの範囲に収める場合ストラディヴァリウスが的確だったわけです。

藤倉:このあいだチェロ奏者のスティーヴン・イッサーリスのツイッターで見たんですが、第二次世界大戦中のチェロには四角い箱状のものがあったそうです。同じ種類の楽器にも、たくさんの形が生み出されてきたんですね。

中澤:そうしてたくさんの可能性が淘汰され、現代に一番良いフォルムが残されたということですね。特に音楽の大衆化が始まってからは大きな音が出る仕様にする必要があったので、需要に合わせて形も変化してきました。

藤倉:中世の古城でコンサートをしたことがあるのですが、かつてそのバルコニーでは王様のためにカルテット(四重奏)がBGMほどの感覚で演奏されていたそうです。現代とは音楽の聴き方が違いますよね。大きなコンサートホールで演奏することを想定した現代の楽器では、響き過ぎてしまうでしょう。

中澤:昔は羊の腸でできた弦を、馬の尻尾でできた弓で弾いていたのでそれほど大きな音は出ません。今は羊の腸の表面にアルミが巻かれているので音が大きくなるんです。

中澤創太さん

藤倉:ちなみに、コンチェルト(協奏曲)を作曲する者にとっての壁は、たくさんの絃楽器があるなかでチェロのソロを際立たせることなんです。だって、チェロのソロが聴こえないと「ん?」ってなりますよね(笑)。

中澤:その問題は、いろんな音楽家の方々とお酒を酌み交わすなかでよく聞ききますね。ソリスト(独奏者)として一生懸命演奏するのですが、なかなか観衆に届かないときはお客さんから、「全然聴こえなかったね」と言われてしまうそうです。

藤倉:それは作曲家のせいですね(笑)。もしくは指揮者。

中澤:いろいろと理由はあると思いますが、やっぱり楽器でも差が出ます。ストラディヴァリウスの特色として、音の届き方が他と違うんです。音色や音量とは別に、フォーカスされた音を遠くまで運ぶ、科学では証明できないような力がストラディヴァリウスには特にあると言われます。ということは、小さな音でも遠くまで伝わるので、演奏の幅が広がるんですね。

藤倉:音の強弱は演奏をするうえで重要なトリックなんです。例えば、静まり返った夜では「パタン」というドアが閉まる些細な音ですら、際立って大きく聞こえたりします。重奏という相対的に音の強弱が変わってしまう環境下では、「弾き手が考える弱音」を表現しようとするときに楽器の差が出ると思います。

中澤:だから演奏家にとってストラディヴァリウスで演奏することは大きな意味を持っています。

ストラディヴァリウスはなぜこんなにも高価なのか

タジリ:では、そんなストラディヴァリウスの魅力についてもう少し掘り下げていきたいのですが、なぜここまで高値が付いているのでしょうか。

中澤:先ほどご紹介したストラディヴァリの作品を初期、挑戦期、黄金期、晩年の4つに分類しましたが最も高価なのは当然、1700年から1725年までの25年間につくられた黄金期のものです。

中澤創太さんと藤倉大さん

音楽家の表現したい音を全て叶えてくれるように、力強く音色もいい。絵画に喩えるとレオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』や『最後の晩餐』級と言えるでしょう。この年代のものは誰もが欲しがります。

一方で、ヴァイオリンとしての完成度は低くはないですが、師匠に習っていた初期のころのヴァイオリンは値段的には比較的安価です。そして晩年になると、2人の息子の助けを借りた作品が多くなります。

藤倉:楽器の世界の葛飾北斎ですね!

中澤:そうとも言えるかもしれませんね(笑)。晩年のものは、アントニオ・ストラディヴァリひとりの作品ではないものも存在し、アントニオの息子たちが手を加えた作品については、評価額は黄金期に比べると少し落ちます。

藤倉:それはモーツァルトがゴーストライターに書かせていたと言われるのと同じですね。それぞれの時代のものによって、音はどう変わりますか?

中澤:表現するのが難しいですね。初期はやはり師匠のニコロ・アマティの作品の音に似ていて、オリジナリティが少ない。黄金期は非常に力強い音を発します。晩年になると円熟して丸みを帯び、温かみがある音になる印象です。

藤倉:彼はひとりでつくっていたのですか?

中澤:それは証明ができませんが、晩年期まではほとんど100%ひとりでつくっていたと、多くの専門家が提唱しています。

展覧会ではストラディヴァリ本人だと思われる肖像画も展示されます。当時から有名だった彼と親交の深かった人物の証言をもとに描かれたその肖像画はやせ細っていて、背が高く、白髪で、ヴァイオリンを黙々とつくっている人物のイメージ画。こうした周囲の人物の証言などから総合して考えても、黄金期の作品までは彼ひとりの手によるものだと考えられます。

当時から演奏家のあいだでも「ヴァイオリンと言えばストラディヴァリ」という評判が広がっていました。そのため、普通だったらひとりではこなしきれない量の発注を受けていたので、驚きです。

中澤創太さんと藤倉大さん

藤倉:それは、性格的な要因もあったのですか? 彼はどんな性格だったのでしょう。

中澤:すごく真面目。また膨大な受注量でしたので、クレモナの街で憧れられるようなお金持ちでした。

藤倉:スターになる前は? きっと、演奏家のハートをつかむ何かがあったのでしょうね。

中澤:一般的な家庭に生まれ育った、もの静かな男性といったところでしょうか。成功の秘訣は真面目がゆえの探究心。演奏家たちの意見を聞いて、改良を重ねていったんです。挑戦期の作品は、そういう背景もあってかサイズが大きい作品が多く、黄金期に見られるような音色のものは多くはありません。

藤倉:どのくらい大きかったのですか?

中澤:とはいっても、4mm程度です。あとはヴァイオリンのアーチの膨らみや幅もミリ単位で変わっています。

使ううちに消耗してしまう持ち手の部分は現存のものの多くがオリジナルではありません。その都度すげ替えられます。ストラディヴァリウスのオリジナルはオックスフォード大学の博物館に保存されていますが、できたばかりかと見間違うほどに状態よく保管されています。

藤倉:いろいろと試行錯誤した結果がいまの形ということですね。

タジリ:まだまだ語りきれないストラディヴァリウスの魅力ですが、そろそろお時間となりましたのでこちらで終了したいと思います。展覧会にお越しいただければ、さらなる秘密を知ることができますので、皆様ぜひ足をお運びください。 本日はありがとうございました。


ストラディヴァリウスの謎が一部紐解けたところで、トークは第2部へ。「黒鳥社」のコンテンツ・ディレクターの若林恵さんが、現代作曲家として世界的に活躍する藤倉さん自身のアート性について、掘り下げていきます。

>>トークセッション第2部『オーケストラは19世紀のコピーバンド!? 作曲家・藤倉大の“特異”な音楽論』

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